1945年7月24日、京城府民館で「亜細亜民族憤激大会」が開催された。満洲国や中華民国(南京国民政府)からの代表も一堂に会し、「アジア解放」の熱弁を振るった。
午後6時頃、演壇にむかって爆弾が投げ込まれて炸裂した。1人が死亡、数十人が負傷した。会場は大混乱に陥り、そのまま流会となった。実行犯の趙文紀らは現行犯逮捕された。しかし、20日後の8月15日に終戦(光復)となり、実行犯は処罰されることなくそのまま釈放された。
実行犯の趙文紀は、その後、いわゆる「親日派」を追及する民族問題研究所の理事長を務め、2008年2月5日に死去した。