京田辺市の歌
日本の京都府京田辺市が制定した市歌
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解説
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1988年(昭和63年)の京都国体開催を前に、ハンドボール競技の会場に選ばれた当時の綴喜郡田辺町が1986年(昭和61年)11月に「田辺町の歌制定委員会」を組織して町民および町出身・通勤通学者を対象に町歌の歌詞を懸賞募集をした[2]。制定意義は“「緑豊かで健康な文化田園都市」をめざし、躍動するまちのシンボル歌”とされる[1]。
応募総数は70篇で、市内に居住する元新聞記者・京都府観光連盟専務理事の佐藤純(当時78歳)による応募作が入選採用された[3]。作曲は制定委員会の委員3人による合作で、制定日は1987年(昭和62年)7月25日付とされている[1]。制定時の表題は「田辺町の歌」(たなべちょうのうた)で、2番では室町時代の僧でとんち話「一休さん」を通じてよく知られる一休宗純を町にゆかりの人物として顕彰している[4]。
表題・歌詞の改訂
1997年(平成9年)、田辺町は単独で市制施行し京田辺市となった。市制施行に当たり既存の和歌山県田辺市との名称の重複を回避するため「京」を冠したものだが、新設合併ではないため法人格は町制時代からそのまま存続しており、町歌も4月1日付で「京田辺市の歌」へ改題、歌詞の「わが田辺」の部分が「京田辺」に改訂されている[1]。
京田辺市役所では市歌の演奏機会について「市の事業や、新春甘南備山初登りで使用されている」とする[5]。京田辺市に関連する市歌以外の楽曲としては町制時代の1954年(昭和29年)6月1日に町民音頭として選定された「田辺音頭」があり[4][6]、市民祭りなどで演奏されている。
参考文献
- 『みちしるべ一休』(一休酬恩会、1988年) 全国書誌番号:89041426
- 中山裕一郎 監修『全国 都道府県の歌・市の歌』(東京堂出版、2012年) ISBN 978-4-490-20803-0