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京都市立楽只小学校

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京都市立楽只小学校(きょうとしりつ らくししょうがっこう)は京都市北区にあった公立小学校である。

過去の名称 蓮台野校
楽只尋常小学校
楽只国民学校
国公私立の別 公立学校
設置者 京都市
設立年月日 1873年(明治6年)4月20日[1]
概要 京都市立楽只小学校 Rakushi elementary school, 過去の名称 ...
京都市立楽只小学校
Rakushi elementary school
北緯35度2分23.03秒 東経135度44分22.40秒
過去の名称 蓮台野校
楽只尋常小学校
楽只国民学校
国公私立の別 公立学校
設置者 京都市
設立年月日 1873年(明治6年)4月20日[1]
共学・別学 男女共学
所在地 603-8226
京都市北区紫野西舟岡町22
外部リンク 公式ホームページ
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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概要

学制発布に伴い明治6年4月(1873年)に開校した小学校である[1]。校名は、『詩経』の一節「楽只君子」に因み、「困難を乗り越え、楽しくてたまらない学校にしよう」との願いを込め、明治18年(1885年)に2代目校長井上靖により名付けられた[2]

沿革

通学区域

通学区域は楽只学区の各町であった。

進学先中学校

卒業後は基本的に京都市立嘉楽中学校が進学先であった。

楽只学区

楽只学区(らくしがっく)は、京都市学区(元学区)のひとつ。京都市北区に位置する。かつての楽只小学校の通学区域を範囲とする、京都市の地域自治の単位となっている。

楽只学区の名称のもととなる楽只小学校は、当初は蓮台野村に所在する蓮台野校として明治6年(1873年)4月に創立された[4]。その蓮台野村は1875年(明治8年)に西紫竹大門村に編入された(西紫竹大門村は明治17年(1884年)に鷹ヶ峰村に改称)。明治18年(1885年)に蓮台野校は、校名を楽只に改称した。1892年(明治25年)1月29日に、鷹ヶ峰村蓮台野ほかが野口村として分立した[5]大正7年(1918年)に野口村が京都市上京区(当時)に編入され、編入された旧野口村の区域は上京第34学区となり、楽只小学校の通学区域とされた[6]。 上京第34学区は、昭和4年(1929年)に、学区名が小学校名に改称されることにより、楽只学区となった[7]

昭和16年(1941年)に国民学校令の施行により学区の根拠が失われ[8]、昭和17年(1942年)に京都市における学区制度は廃止されるが[9]、現在も地域の名称、地域自治の単位として用いられている。

楽只学区は昭和30年(1955年)9月、上京区から分区して成立した北区に位置することになった。

楽只学区の通学区域

楽只学区の通学区域は、小学校が京都市立紫野小学校、中学校が京都市立嘉楽中学校となっている。

地理

楽只学区は、北側が鷹峯学区待鳳学区、東側が紫野学区、南側が柏野学区衣笠学区、西側が金閣学区と接する[10]。区域は、紫野を冠称する町の一部などから構成される(→「#楽只学区の町名」)。面積は0.248 平方キロメートルである[注釈 2]

人口・世帯数

京都市内では、概ね元学区を単位として国勢統計区が設定されており[11]、楽只学区の区域に設定されている国勢統計区(北区第5国勢統計区[注釈 3])における令和2年(2020年)10月の人口・世帯数は2,273人、1,328世帯である。

楽只学区の町名

  • 鷹峯旧土居町[町 1]
  • 紫野十二坊町
  • 紫野南花ノ坊町
  • 紫野北花ノ坊町
  • 紫野上御輿町
  • 紫野花ノ坊町
  • 紫野西舟岡町
  • 紫野下御輿町
  • 紫野上若草町[町 1]
  • 紫野下若草町
  1. 町域の一部が楽只学区にあたる。

交通

脚注

参考文献

関連文献

関連項目

外部リンク

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