京都市立衣笠小学校

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過去の名称 平野尋常小学校
衣笠尋常小学校
衣笠尋常高等小学校
衣笠国民学校
国公私立の別 公立学校
設置者 京都市
設立年月日 1873年(明治6年)4月1日[1]
京都市立衣笠小学校
Kinugasa elementary school
北緯35度1分47.82秒 東経135度43分56.57秒 / 北緯35.0299500度 東経135.7323806度 / 35.0299500; 135.7323806座標: 北緯35度1分47.82秒 東経135度43分56.57秒 / 北緯35.0299500度 東経135.7323806度 / 35.0299500; 135.7323806
過去の名称 平野尋常小学校
衣笠尋常小学校
衣笠尋常高等小学校
衣笠国民学校
国公私立の別 公立学校
設置者 京都市
設立年月日 1873年(明治6年)4月1日[1]
共学・別学 男女共学
所在地 603-8322
京都市北区平野宮本町16-9
外部リンク 公式ホームページ
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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京都市立衣笠小学校(きょうとしりつ きぬがさしょうがっこう)は京都市北区平野宮本町にある公立小学校である。

学制発布に伴い明治6年(1873年)に開校した小学校である。校名は、明治22年(1889年)に成立し大正7年(1918年)に京都市に編入された旧村名の衣笠村に因む。

沿革

  • 1873年明治6年)4月1日 - 小北山校として平野神社南門東側に開校[1]。校舎は等持院塔頭松寿院の建物を移転改築[2]。のちに校名を平野に改称する[3]
  • 1887年(明治20年)7月 - 平野尋常小学校と改称する[2]
  • 1908年(明治41年)2月 - 現校地(現 平野宮本町)への移転を決定[2]
  • 1910年(明治43年)
  • 1918年大正7年)4月 - 葛野郡衣笠村京都市に編入されるとともに、高等科を廃止し、京都市衣笠尋常小学校と改称する[2]
  • 1923年(大正12年)4月 - 高等科が再設され、衣笠尋常高等小学校と改称[2]
  • 1931年昭和6年)
    • 9月1日 - 第二衣笠尋常小学校(現在の京都市立大将軍小学校)が校地内で分離開校[2]
    • 10月23日 - 第二衣笠尋常小学校が移転[2][3]
    • 11月1日 - 第二衣笠尋常小学校の開校式挙行[2]
  • 1941年(昭和16年)4月 - 国民学校令により京都市衣笠国民学校と改称[1]
  • 1947年(昭和22年)4月 - 学制改革により京都市立衣笠小学校と改称。
  • 1958年(昭和33年)4月8日 - 京都市立衣笠小学校宮敷分校が開校。
  • 1965年(昭和40年)4月1日 - 宮敷分校が第二衣笠小学校(現在の京都市立金閣小学校)として独立開校[3]
  • 1973年(昭和48年)10月7日 - 創立100周年記念式典を挙行。100周年記念誌ならびに『衣笠子ども風土記』を発行[3]

通学区域

通学区域は衣笠学区と、平成25年度(2013年度)から休校中である京都市立中川小学校の通学区域にあたる中川学区(中川・杉阪・真弓を冠称する各町)の区域に一致する[5]

進学先中学校

卒業後は基本的に京都市立衣笠中学校に進学する[5]

衣笠学区

衣笠学区(きぬがさがっく)は、京都市学区(元学区)のひとつ。京都市北区に位置する。休校中の中川小学校の通学区域を除く衣笠小学校の通学区域を範囲とする、京都市の地域自治の単位となっている。

衣笠学区の名称のもととなる衣笠小学校は、当初は小北山村に所在する小北山校として明治6年(1873年)4月に創立された[2]。その小北山村は明治22年(1889年)に大北山村・北野村・大将軍村・松原村・等持院村と合併し衣笠村となった[6][7]大正7年(1918年)に衣笠村が京都市上京区(当時)に編入され、編入された旧衣笠村の区域は上京第35学区となり、衣笠小学校の通学区域とされた[4]。 上京第35学区は、昭和4年(1929年)に、学区名が小学校名に改称されることにより、衣笠学区となった[8]。学区内には、昭和6年(1931年)に第二衣笠小(のちに校名を大将軍に改称)が創立された[2][9][注釈 2]

昭和16年(1941年)に国民学校令の施行により学区の根拠が失われ[10](京都市の学区そのものは昭和17年(1942年)に廃止[11])、昭和16年6月に国民学校の通学区域を単位とする町内会連合会が発足[10]。衣笠国民学校の通学区域を単位として衣笠町内会連合会が設置され[12]、戦後のポツダム政令[13]による解体ののち、住民自治の単位である衣笠学区となった。

衣笠学区は昭和30年(1955年)9月、上京区から分区して成立した北区に位置することになった。また、昭和40年(1965年)に第二衣笠校(現在の金閣小学校)開校に伴い第二衣笠学区として衣笠学区から分離設立され、のちに金閣学区となった[14]

地理

衣笠学区は、北側が金閣学区、東側が柏野学区(北の一部が楽只学区)と翔鸞学区(上京区)、南側が大将軍学区、西側が御室学区(右京区)と接する[15]。区域は、小松原を冠称する町の全部と、北野・衣笠・等持院・平野を冠称する町の一部から構成される。面積は0.887 平方キロメートルである[注釈 3]

人口・世帯数

京都市内では、概ね元学区を単位として国勢統計区が設定されており[16]、衣笠学区の区域に設定されている国勢統計区(北区第15国勢統計区[注釈 4])における令和2年(2020年)10月の人口・世帯数は7,643人、4,103世帯である。

衣笠学区の町名

  • 衣笠大祓町
  • 衣笠荒見町
  • 衣笠北高橋町
  • 衣笠高橋町
  • 平野鳥居前町
  • 平野八丁柳町
  • 平野上八丁柳町
  • 平野宮本町
  • 平野宮西町
  • 平野宮北町
  • 小松原南町
  • 小松原北町
  • 北野紅梅町
  • 北野東紅梅町
  • 等持院東町
  • 等持院西町
  • 等持院中町
  • 等持院北町
  • 北野上白梅町

交通

関係者

脚注

参考文献

  • 『史料京都の歴史 第6巻 (北区)』平凡社、1993年。doi:10.11501/9576694ISBN 4-582-47706-2 
  • 京都市北区役所:リレー学区紹介-衣笠学区”. 2026年2月15日閲覧。
  • 『京都市学区大観』京都市学区調査会、1937年。doi:10.11501/1440637 
  • 『京都市立学校園沿革史』京都報道センター、1981年。doi:10.11501/12111830 

関連文献

関連項目

外部リンク

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