仁保進

From Wikipedia, the free encyclopedia

仁保 進(にほ すすむ、1890年明治23年)12月26日[1] - 1981年昭和56年)5月10日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍少将

熊本県熊本市出身[1][2]1912年(明治45年)陸軍士官学校第24期卒業、陸軍歩兵少尉に任官[1][3]。区隊長は大島浩で、倉橋尚とは同じ区隊[4]

1939年(昭和14年)9月に第8国境守備隊第3地区隊長、1941年(昭和16年)3月に陸軍歩兵大佐1944年(昭和19年)4月に満洲にて第57歩兵団長(第5方面軍第27軍)に任官し、独立歩兵第2・4大隊を基幹とする第11派遣隊を合わせた千島第1集団(通称:仁保兵団)長として温禰古丹島に出動[1][2]。旅順より日本海を経て6月に上陸。

1945年(昭和20年)5月中旬、北部軍命令により北海道本島への転進を命じられ、駆逐艦の警備のもと小樽に帰還[5]。しかしそれから間もない6月1日、独立混成第129旅団長(第5方面軍)に任官し、得撫島警備[6]。同月に陸軍少将に進む[1][2]

6月2日、得撫島に上陸し、同月中に独立混成第129旅団の編成を完結。失望落胆の色が濃い兵らの激励に当たる中、8月2日、北海道への再転進を命ぜられ、準備を進めている中で終戦を迎えた[1][2]。31日、岩見浜沖にてアレクセイ・グネチコロシア語版海軍少将と会見[7]。武装解除を受けた。その際、ソ連を「嘘と物欲で固められた、およそ信義の片鱗も持たぬ、ものの憐れみを知らぬ大国思想の野獣のお国柄だ。」との言葉を残している[8]

1948年(昭和23年)1月31日、公職追放仮指定を受けた[9]

復員後は帰郷していたが、1969年に愛知県春日井市の次男宅に転居[10]。声帯癌を患い、1972年3月に両方の声帯を切除[11]

栄典

脚注

参考文献

Related Articles

Wikiwand AI