仁王仁太夫
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仁王仁太夫を語る上で欠かせないのが、2024年現在、日本相撲協会によって初代横綱に認定されている明石志賀之助の存在である。仁王は京相撲(京都相撲)では常に東大関の地位にあり、無敵を誇っていた。そこに諸国を漫遊し、既に各地で抜群の強さを誇っていた明石が京に辿り着いた際、明石の強さの評判を聴いた役人が明石を朝廷に連れてきて帝(天皇)の前で角力(相撲)を取らせることにしたという。明石を西大関の地位に付け出し、相撲を取らせたところ、仁王が明石を頭上に持ち上げで投げ捨てようとした。しかし、明石は慌てず、仁王の頭上から胸を蹴り込んで返り討ちにし、仁王はあっさり負けたと伝わる(仁王はこの時に死亡したとされている[2])。
京相撲で無敵の強さを誇った仁王をいとも簡単に倒したことに喜び勇んだ帝は大変満足し、明石に『日下開山』の称号を与え、これが後の時代に谷風梶之助と小野川喜三郎の2人に横綱免許を授ける際に前例を重んじる幕府の方針に従う形で明石を初代横綱として認定する根拠とされた[注 3]。
仁王仁太夫は実在したか
しかしながら、自らが京相撲の最強力士であったと伝わるほか、明石が初代横綱に認定される根拠とされた一番を取ったことに代表されるような超強豪力士と語られるほどの存在でありながら、仁王のその他の活躍などは全くといって良いほど聴かれず、具体的にどういった力士であったのかなどは後の世に殆ど伝わっていない。
このことから、明石の存在を確立させるために講談師などが創作した架空の人物、或いは同様の相撲を取った強豪力士がモデルであると考えられている。