今井喜八
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武蔵国江戸、のちの東京府東京市[6] 浅草区馬道町1丁目[3](現東京都台東区雷門)で、藤田久兵衛の二男として生まれる[2][4]。1874年(明治7年)8月、馬道の質商・伊勢屋[3]、先代今井喜八の養嗣子となり[3][4]、1885年(明治18年)2月、家督を相続した[2]。
質商を営み、中央製糖(のち大日本製糖)取締役、台湾拓殖取締役、内国通運社長などを務めた[2][3][4][5][6][7]。また、浅草銀行を設立して頭取に就任し、その後、豊国銀行と合同して同行取締役となった[7][8]。
政界では、浅草区会議員、同区会議長、東京市会議員、同参事会員、市区改正委員、市学務委員などを務めた[3][4][5][6][7][8]。立憲同志会からの強い要請を受けて[3]、豊国銀行取締役を辞して[3][7]1915年(大正4年)3月、第12回衆議院議員総選挙に東京府東京市から出馬して当選し[3][9]、その後憲政会に所属し衆議院議員に1期在任した[5][6]。この間、衆議院決算委員などを務めた[3]。