長野県諏訪郡平野村(現・岡谷市)の今井千尋の長男として生まれる。今井家は中山道塩尻峠口の本陣を務めた名家。1910年(明治43年)3月、諏訪中学校(現・長野県諏訪清陵高等学校)卒業。
平野村役場勤務を経て、1923年(大正12年)同村助役に就任。1927年(昭和2年)9月より長野県会議員に3期連続で当選する。参事会員などを経て、1934年(昭和9年)平野村長に就任し、諏訪郡町村長会会長を兼任した。翌年の1935年(昭和10年)、諏訪郡農会長に就任し、ついで1936年(昭和11年)5月5日に市制施行とともに岡谷市長に就任した。製糸業の不況期にあって市制施行を推進し、多角的工業化を推進した。1944年(昭和19年)12月29日、在職中に没した。
ほか、長野県治水砂防協会長、岡谷製糸振興会長など県の関係諸団体の要職を歴任した。