- 出生から修学期
大阪市で生まれる。広島高等師範学校から、1936年、広島文理科大学東洋史学専攻に入学[4]し、1939年に卒業[5]。
- 中国史研究者として
卒業後は、広島文理科大学副手に採用された[6]。1943年に講師、1945年に助教授昇格。1949年に広島文理科大学が広島大学に包摂されたことに伴い、以降広島大学助教授。1950年、学位論文『中国封建社会の機構』を広島大学に提出して文学博士号を取得[7]。1951年に教授昇格。1972年からは教養部長を務めた。1977年に広島大学を定年退官し、名誉教授となった。その後、広島女子大学学長に就任[8]。
原水爆禁止運動にも参加し、活動した[2]。