今村明光
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1883年、鹿児島県の士族今村明清の六男として[2][5][6]鹿児島市にて生まれた[3]。中学造士館を経て、1904年7月に第七高等学校造士館を卒業(第三部医科志望、第1回卒業生)[7]。1909年12月東京帝国大学医科大学卒業[3]。続けて同大学の病理学教室で研究、次いで大学附属医院に勤務[3]。1919年東京帝国大学医学部講師嘱託となる[3]。1921年12月8日、東京帝国大学より医学博士の学位を受領[3]。1922年6月[3]東京帝国大学医学部助教授に任じられる[3]。1925年8月[3]、山梨県病院(現・山梨県立中央病院)長となる[2][3][5][6]。1929年11月[8]東京女子医学専門学校教授に就任[2][5][9](10月23日に急逝した内科学教室寺島清司教授の後任[8])。東京女子医学専門学校病院の内科部長[10]や病院長[7]を務めた。学界では、日本伝染病学会の評議員を務めた[9]。失明のため1944年9月東京女子医学専門学校教授を退任[8]。墓所は多磨霊園。