- 今渕将監政明(?年~?年)
- 今渕半九郎政慶(?年~1601年)
今渕政明の子。1601年和賀・岩崎陣にて戦死。知行300石。
今渕政慶の嫡男。二戸郡上斗米村他に百六十六石を知行。
今渕半九郎政且の実弟。切添新田を加増され知行二百石となる。以後、今渕氏は知行200石で確定。
今渕半九郎成豊の子。小納戸を勤め、天和三年死去。
- 今渕半九郎常正(政賢とも。?年~1695年10月4日)
今渕半九郎正武の子。徒頭を勤め元禄八年死去。
毛馬内安右衛門定房の二男、母は今渕常正の姉。徒頭、長柄奉行、御者頭、宗門奉行を勤め延享四年死去。
今渕十郎左衛門矩忠の次男。御側役、御者頭、屋敷奉行を勤め寛政二年隠居、同四年死去
御側役、奥使を勤仕の後、五戸通代官、毛馬内通代官、野田通代官、福岡通代官、田名部通代官、七戸通代官を勤め、また宝蔵院流鎌術を安宅郷助に師事。後年同流師範となり古沢忠助康命に流儀を継いだ。文化十一年死去。
庸長の跡を継ぎ安俵高木通代官を勤めた。宝蔵院流鎌術を古沢康命に師事して同流師範となり、流儀を金矢又四郎光春に継いでいる。天保十二年に隠居し、嘉永七年死去した。
今渕左市左衛門政識の三弟。御附役、大槌通代官、毛馬内通代官を勤めた。宝蔵院流鎌術を金矢光春より請けて同流師範となり、安村順左衛門にその流儀を継ぎ、安政五年死去した。
毛馬内伴治の次男。安俵高木通代官を勤め明治四年隠居、同十二年死去した。
政節の跡を継いだ政徳は、明治十年の士族明細帳によれば、仁王小路五十四番屋敷に在住と記録されている。
また、明治4年盛岡藩士族書上帳には祖父今淵半九郎 附役、代官、父今淵篤男、代官、元高200石、今淵練八郎、末21歳、明治3年世帯主と記載がある。
他にも同資料に明治4年1月24日家督、同3年7月12日盛岡県貫属士族被仰付と記録されている。
今渕家は多数の教育者を輩出しており、今淵直之丞家の今淵政徳を始め、系統不明ながら明治9年の小学生400余名による天覧体操(明治天皇の御前にて体操を披露した)において後半部を指揮するという大役を担った今淵義方、盛岡工業高校事務見習として名前が見受けられる今淵正四郎、他にも今淵逸楼(旧名:清次郎)など4名の教育者が確認されている。