仏生寺弥助
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略歴
越中国射水郡仏生寺村生まれの百姓の子とされる。同じ村出身の斎藤弥九郎(斎藤篤信斎)を頼り江戸へ出て、神道無念流の剣術道場・練兵館の風呂焚きの仕事に就くが、隠居先生と呼ばれた岡田利貞に見いだされ(仕事の合い間に道場を覗き見し、習わぬ剣術を覚えてしまった)、後に指導を受けることとなる。その腕前は初心者ながら剣を持たせたら、塾内の練達者を打ち負かすほどだったという。時に弥助16歳。このエピソードからも天才肌の人物だったという可能性が高い。練兵館における弥助の強さは一目置かれており、幕末の剣豪として知られる長州(岩国領)藩士の宇野金太郎が塾の重鎮の斎藤歓之助(大村藩の剣術指南役)を打ち負かした折、面子潰れを恐れた練兵館の切り札として弥助が出向き、宇野金太郎を叩きのめした記録が残っている。これらのことからも弥助の強さはかなりのものと推測されている。しかし文字も読めない無学者で、酒癖や素行の悪さもあり無地位に終わった。
最期
史料
剣術方法
左上段からの面打ちを得意とした。あまりの速さに、先に宣言した後行われるそれを誰も防ぐことが出来なかったとされる。体術では上段前蹴りも得意とし、これも予告打ちでありながら、必中だったと伝えられる。