以津真天
日本の妖怪画集『今昔画図続百鬼』にある怪鳥
From Wikipedia, the free encyclopedia
太平記における怪鳥
『太平記』によれば建武元年(1334年)の秋、疫病が流行して病死者が多く出た頃、毎晩のように紫宸殿の上に怪鳥が現れ「いつまで、いつまで」と鳴いて人々を恐れさせていた。公卿たちは源頼政の鵺退治にちなんで弓の名手に退治させようと考え、依頼を受けた隠岐次郎左衛門広有(真弓広有)は鏑矢で見事、怪鳥を射止めた。その怪鳥は顔が人間のようで、曲がったくちばしに鋸のような歯が並び、体はヘビのようで、両足の爪は剣のように鋭く、翼長は1丈6尺(約4.8メートル)もあったという[1]。
『太平記』において、この鳥は「怪鳥」と記述されているのみで明確な名前などは記載されていない。『今昔画図続百鬼』において付された「以津真天」という名称は、鳥山石燕がこの逸話を『今昔画図続百鬼』に描く際、その鳴き声をもとに名づけたものとされる[2]。『太平記』の記述を元として描かれた江戸時代の武者絵においても、化鳥としての姿や黒雲などにその存在を感じさせる描写で描かれているが[3]、「いつまで」という名称の使われたものは確認されていない。
