仲木之植 From Wikipedia, the free encyclopedia 仲木 之植(なかき これたね、1848年8月28日(嘉永元年)8月1日 - 1900年(明治33年)9月28日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。正四位、勲二等功四級。通称は常太郎。 長門国阿武郡椿郷松下村(現・山口県)に多々羅久道の子として生まれる。幕末には馬関戦争および四境戦争に従軍し、戊辰戦争では奥羽征討の命を受け仙台に出張した。 明治維新後は御親兵に入り軍歴を重ね、明治7年(1874年)11月に陸軍少佐に進む[1] [2]。 西南戦争では山田顕義率いる別働第2旅団に属し大隊を率いて転戦したが、水越の戦いで負傷し前線を退いた。 明治14年(1881年)2月に陸軍中佐となり、歩兵第8連隊長、歩兵第7連隊長、近衛歩兵第2連隊長、歩兵第4連隊長を歴任した。明治22年(1889年)4月に陸軍大佐へ昇進し、日清戦争では歩兵第4連隊長として出征した[1]。 戦後の明治29年(1896年)3月に陸軍少将に進み、台湾守備混成第1旅団長に就任した[1]。 明治30年(1897年)4月には第12師団の第4代師団長に就任[3]。のち歩兵第12旅団長を務め、明治33年(1900年)4月に予備役編入。そのわずか5か月後の9月28日に死去した[1][4]。 また明治32年(1899年)6月19日には、森鷗外が門司港を訪れた際、黒木為禎中将・井上光中将とともに挨拶を受けている[5]。 脚注 1 2 3 4 1993, p. 26. ↑ 東京美術 1971, p. 106. ↑ 1974, p. 77. ↑ 平凡社 1941, p. 275. ↑ 森鴎外記念会 1990, p. 252. 参考文献 『陸海軍将官人事総覧 陸軍編』 芙蓉書房出版、1993年、26頁。 『福岡連隊史』 秋田書店、1974年、77頁。 『国史大年表 第七巻』 平凡社、1941年、275頁。 『明治過去帳: 物故人名辞典』 東京美術、1971年、106頁。 『鴎外(46)』 森鴎外記念会、1990年、252頁。 Related Articles