伊岐致遠 From Wikipedia, the free encyclopedia 伊岐 致遠(いき の むねとお、生没年不詳)は、平安時代後期の貴族。名は宗遠とも記される[1]。官位は従五位下・出羽守。一説に六条天皇の外祖父。 文章生を経て、白河院政期中期の天仁元年(1108年)右少史に任ぜられる。天永2年(1111年)までに左大史に昇り、まもなく叙爵されたと想定される。その後しばらく官職に就いた形跡がないが、白河院政期末の大治4年(1129年)になって史巡により出羽守として受領となった。 『愚管抄』では、永万元年(1165年)に即位した六条天皇の生母を「母不分明」としながらも、「密事ニハ大蔵大輔伊岐宗遠女子」とする[2]。また、『顕広王記』でも「大蔵大輔伊岐致遠法師女子」とする[3]。 官歴 時期不詳:文章生[4] 時期不詳:正六位上 天仁元年(1108年) 正月24日:右少史[5] 天永2年(1111年) 8月24日:見左大史[5] 時期不詳:従五位下 大治4年(1129年) 正月24日:出羽守(史巡)[5] 長承元年(1132年) 11月23日:見出羽守[5] 脚注 ↑ 『中右記』長承元年11月23日条 ↑ 竹鼻[1984: 524] ↑ 山内[1990: 45-46] ↑ 『中右記』大治4年正月24日条 1 2 3 4 『中右記』 参考文献 永井晋『官史補任』続群書類従完成会、1998年 宮崎康充編『国司補任 第五』続群書類従完成会、1990年 竹鼻績『今鏡(上)』講談社〈講談社学術文庫〉、1984年 山内益次郎「幼帝六条天皇--「今鏡」人物伝考」『武蔵野女子大学紀要 (25)』武蔵野女子大学文化学会、1990年 Related Articles