伊広 From Wikipedia, the free encyclopedia 伊 広(い こう、生年不詳 - 897年)は、唐末の官僚・軍人。字は言[1]。本貫は兗州瑕丘県。 経歴 中和4年(884年)、忻州刺史に任じられた。唐末の大乱にあって、李克用を頼った。その心情はさっぱりしていて物事にこだわらず、応答を得意とした。伊広は重要な職位を歴任し、汾州刺史となった。李克用が諸侯の盟主として盟約を締結するにあたって、伊広はその使節をつとめて、李克用の意にかなった。官を歴任して検校司徒となった。乾寧4年(897年)、李克用に従って劉仁恭を討ち、成安寨で敗れると、伊広は敵中で死去した[1]。 家族 元和年間の尚書右僕射伊慎の末裔にあたる。 子:伊承俊(貝州刺史・遼州刺史) 女:伊氏(後唐の荘宗の淑妃)[1] 脚注 [1]旧五代史 1976, p. 746. 伝記資料 『旧五代史』巻55 唐書第31 列伝第7 参考文献 『旧五代史』中華書局、1976年。ISBN 7-101-00321-4。 Related Articles