伊藤吉和

From Wikipedia, the free encyclopedia

生年月日 (1959-04-02) 1959年4月2日(66歳)
出生地 千葉県
出身校 千葉大学
伊藤吉和
いとう よしかず
生年月日 (1959-04-02) 1959年4月2日(66歳)
出生地 千葉県
出身校 千葉大学
称号 工学修士
公式サイト 伊藤吉和のホームページ[リンク切れ]
当選回数 3回
在任期間 2002年5月2日 - 2014年5月1日
テンプレートを表示

伊藤 吉和(いとう よしかず、1959年昭和34年)4月2日[1] - )は、日本の元建設官僚、元政治家広島県府中市助役(1期)、第7代広島県府中市長(3期)を歴任した。政界引退後、農家に転身。

政策

建設省の公務員で府中市役所に出向し、菅波次郎助役がいたところに二人目の助役(建設担当)として就任した。4期16年務めた橘高泰司市長が任期満了をもっての引退表明をした。府中市の左派勢力に対抗するために、亀井静香の勧誘により府中市の市長選に立候補した。選挙戦では「同和行政」の見直しが争点となり、結果伊藤が圧勝した[6]。同時に行われた市議会議員選挙でも伊藤支持派が多数派となった(定数24人中14人)[6]。それまでの府中市政は人権問題への強いプレッシャーで行政の活力が失われ、市民にも抑圧的な気持ちがまん延しているとされるような内容で、小森龍邦率いる部落解放同盟の機嫌との協議の上でなされており[6]、2000年度の一般会計では11億5300万円が同和対策として拠出されていた[6]

伊藤を支持するために、賛同する議員らによって府中市議会に会派「平成クラブ」が組織された。主な政策として、同和対策関連予算の縮小[6]、同和団体による公民館占拠の解消、同和団体との関係解消[6]、市内の保育所の統廃合などのコストカット、府中中心部の再開発、小中統合の一貫校などが挙げられる[7]。小中学校の耐震化100%を達成させた。市庁舎を含めた市内公共設備の耐震工事も実施した。中心市街地活性化事業を実施し、お祭り広場近郊の整備や出口地区の石州街道の観光整備を実施した。 第2次中心市街地活性化事業で府中駅南側に「道の駅びんご府中」、府中市地域交流センター(キテラスふちゅう)等の整備事業を計画した[8]。上下市民病院の医師不足問題については府中市民病院との一体運営を打ち出して対応した。陳腐化した市内の道路交通網に対しては、扇橋の架け替えや南北道路の計画整備、市内循環バスの運行などを行った。また懸案だった桜ケ丘団地の販売も、民間の建築会社とタイアップして値引き販売を進めた(以上出典[9][10][11][12][13][14][15])。

府中市長選挙

  • 2002年初当選

※当日有権者数:人 最終投票率:%(前回比:pts)

候補者名年齢所属党派新旧別得票数得票率推薦・支持
伊藤 吉和43無所属%自民党広島県連
菅波 次郎無所属%
佐藤 一行日本共産党%
  • 告示日:2006年4月16日 / 投票日:2006年4月23日

※当日有権者数:37,880人
伊藤 吉和(47)無投票当選

  • 告示日:2010年4月18日 / 投票日:2010年4月25日

※当日有権者数:36,411人 最終投票率:75.53%(前回比:pts)

候補者名年齢所属党派新旧別得票数得票率推薦・支持
伊藤 吉和51無所属14,111票%
松坂 万三郎53無所属12,847票%
  • 告示日:2014年4月13日 / 投票日:2014年4月20日

※当日有権者数:34,768人 最終投票率:70.23[16]%(前回比:pts)

候補者名年齢所属党派新旧別得票数得票率推薦・支持
戸成 義則73無所属12,789票%
伊藤 吉和55無所属10,853票%自民党推薦

落選

特記事項

脚注

Related Articles

Wikiwand AI