伊藤孝次
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京都府で伊藤正信の四男として生まれる。
1903年(明治36年)、東京帝国大学工科大学舶用機関科を卒業し、海軍中技士となる。海軍機関学校教官などを経て、1923年(大正12年)佐世保海軍工廠造機部長となる。1925年(大正14年)には神戸艦政本部監督官となる。1929年(昭和4年)海軍中将となり広海軍工廠長を務めた。
1930年(昭和5年)、海軍技術研究所長兼海軍技術会議員に就任した。
1936年(昭和11年)3月死去。死去に際し祭資が下賜されたほか、同年3月25日の葬送に際しては勅使の遣いがあり幣帛を下賜された[1]。墓所は谷中霊園乙10号17側(後ろは来島恒喜墓所)にあったが、官報により無縁墳墓の届けが出され、数年後施主と連絡がつかなかったため撤去された。