伊藤弥太

From Wikipedia, the free encyclopedia

死没 (1975-05-31) 1975年5月31日(83歳没)
国籍 日本の旗 日本
伊藤 弥太
生誕 1892年4月6日
秋田県大館市部垂町
死没 (1975-05-31) 1975年5月31日(83歳没)
国籍 日本の旗 日本
出身校 秋田県立大館鳳鳴高等学校
著名な実績 洋画
代表作 「象潟の初夏」
テンプレートを表示

伊藤 弥太(いとう やた、1892年明治25年)4月6日 - 1975年昭和50年)5月31日[1][2])は、日本の洋画家。

秋田県大館市部垂町出身[1]。1910年に旧制大舘中学校(現・秋田県立大館鳳鳴高等学校)を卒業し[1][2][3]、翌年の1911年に上京して美術雑誌「美の廃墟」を友人らと発行したのち岸田劉生に師事した[1][2]。1912年に国民新聞社の記者として活動した[3]。1914年の第1回二科展に入選した[1][2]

この頃に家財道具一切の盗難に遭い、これが原因で岸田劉生との間に誤解が生じ、絵画を放棄して静岡県三島市に隠棲した[2]

1927年に若山牧水らの勧めで再起し国分寺村に上京した[2]。1929年には千葉県に転居し、翌年の1930年には秋田市に転居した[2]。1931年には郷里の大館市に戻り、1932年から独立美術展への出品を始めた[2]

1939年からは国画会展に出品し、1958年に会友、1964年に会員に推挙された[2][3]。1949年、1950年頃から水墨画を始めている[2]

作品

受賞

脚注

Related Articles

Wikiwand AI