伊藤彰 (野球)
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調布リトル・シニアから山梨学院大付高へ進学、1年秋は県大会優勝で関東大会初戦で先発したが敗れた。2年夏の甲子園で注目され、3年夏も出場して1996年ドラフト1位でヤクルト入団。同期には岩村明憲らがいた。当初は近鉄も獲得の意思を表明していたが「左肩に不安がある」という理由からメディカルチェックを要望。しかし、伊藤側はこれを拒否したため近鉄は指名を回避し、前川克彦を指名する方針に切り替え。これにより単独指名となったヤクルトに入団。入団時は調布リトル・シニアの先輩である荒木大輔の背番号11を付けた。
プロ入りしたものの、ドラフトの際に不安視されていた左肩痛が重症と判明、アメリカで手術をするが2軍ですら全く戦力とならず、2000年にプロ生活僅か4年で1軍登板の無いまま引退となった。
その後、山梨学院大学に進学、卒業後は同大学硬式野球部コーチに就任し、夢の神宮を目指し再出発した。高橋一三監督の体調不良により、2014年春に同大学硬式野球部監督に昇格し、全日本大学野球選手権大会の初出場を決めた[2]。