伊藤明彦

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伊藤明彦

伊藤 明彦(いとう あきひこ、1936年11月5日 - 2009年3月3日)は、日本のジャーナリスト被爆者の声を聴き、伝えることに人生をかけた[1]

 2006年11月~2007年11月 広島に滞在して取材
 2007年11月~2008年10月 自宅(東京都・調布市)を拠点に関東近郊を取材
 2008年10月~2009年1月 長崎に滞在して取材(取材半ばに体調を崩し、一時帰宅)
  • 2007年 第6回 放送人グランプリ2007 特別賞 受賞。
  • 2008年 「40年間にわたり全国の被爆者を訪ねて証言の取材を続けて声を収録し、さらに録音テープにまとめ施設に寄贈」したことに対して、第42回吉川英治文化賞受賞[11]
  • 2009年 3月2日、部屋でもうろうとしているのを発見され、救急搬送。駆けつけた姉に、「やり残したことがあるのでまだ死にたくない」と伝えたが、3月3日、肺炎により東京都内の病院で死亡。享年72。遺志で葬儀は営まれず、献体された[12]

被爆を語る

伊藤明彦は、入社8年後の1968年11月からNBC長崎放送のラジオ番組「被爆を語る」をスタートさせた。第1回放送は、11月5日火曜日。偶然にも32歳の誕生日だった[4]。早朝の6分間、週3回の放送だった[4]。これは、被爆地の放送局として「被爆者の声」を収録するとともに、長期的に保存し、その一部を放送するという新しい企画提案であった。ライフワークと思っていたが、番組を担当してわずか半年後に、この番組の担当を社内の事情でおろされ、佐世保支局へ転勤させられた[13][2]

その後、ラジオ番組「被爆を語る」は番組名を「長崎は証言する」に変更され、現在もなお毎週土曜日、朝6:40からの5分番組として長崎に在住している被爆体験者の声を取材して放送している[14][15][16]

音声作品

  • 1982~1984年制作・寄贈 オープンリール版「被爆を語る」(51人分52巻 約70時間)
 全国14施設へ寄贈。
  • 1989年制作 カセットテープ版「被爆を語る」(14人分14巻 約18時間30分)
 1989年~92年夏 全国944施設へ寄贈。
  • 2006年制作 CD作品「ヒロシマ ナガサキ 私たちは忘れない」(9枚組 約8時間40分)
 2006年 全国547施設・団体・個人へ寄贈・贈呈(うち小部数は米国)。

ドラマ

2025年4月、『未来からの遺言 ある被爆者体験の伝記』をもとに、NHK 総合テレビから8月に89分番組、戦後80年ドラマ「八月の声を運ぶ男」として放送されることが発表された[17]。 2025年5月、NHKより戦後80年ドラマ「八月の声を運ぶ男」の新たな出演者とともに放送予定日が発表された[18]。 2025年8月13日に放送され、ギャラクシー賞2025年8月度月間賞を受賞した[19][注釈 6]

著書

脚注

外部リンク

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