伊藤清兵衛 From Wikipedia, the free encyclopedia 伊藤 清兵衛(いとう せいべえ、天保2年〈1831年〉 - 慶応元年10月23日〈1865年12月10日〉[1])は、幕末の筑前福岡藩士である。通称は初め平次郎、のち清兵衛。諱は勝益。字は黙通。福岡藩士・島平右衛門周成の四男。母は月成氏。 那珂郡柳原村に生まれ、同藩士・伊藤森之助常世の養子となる。幼少より月形深蔵・魚住三郎らに就いて学ぶ。 安政4年(1857年)9月家督を相続した。家禄二百石を拝領し、馬廻組に列せられる。万延元年(1860年)足軽頭に任ぜられ長崎に勤番したが、病により辞職。元治元年(1864年)10月藩より京都警護の命を受けて上京した。 次いで幕命を受けて敦賀へ赴き、武田耕雲斎一行(天狗党)の囚獄を警護した。慶応元年(1865年)5月佐幕派の台頭に抵抗して、薩摩藩の志士と謀って尊皇派の同志を救出しようとしたが果さず、同年8月禁固を命ぜられ、10月枡木屋の獄において斬罪に処せられた。刑死後は徳永寺に葬られ、明治35年(1902年)贈正五位に叙せられた[2]。 脚注 ↑ デジタル版 日本人名大辞典+Plus ↑ 田尻佐 編『贈位諸賢伝 増補版 上』(近藤出版社、1975年)特旨贈位年表 p.17 参考文献 出典は列挙するだけでなく、脚注などを用いてどの記述の情報源であるかを明記してください。 記事の信頼性向上にご協力をお願いいたします。(2019年7月) 日本歴史学会 編著『明治維新人名辞典』吉川弘文館 1994年、100ページ 筑紫豊 編「福岡県に於ける 明治維新の人柱」 福岡県護国神社、1968年(非売品)、17ページ 太宰府市史編集委員会 編『太宰府市史2』 太宰府市、2004年、981ページ 高田茂廣 校註『見聞略記』 海鳥社、1989年(500部限定)、261ページ 森政太郎 編『筑前名家人物誌』 文献出版、1979年、187ページ 成松正隆 著『加藤司書の周辺』 西日本新聞社、1997年、337ページ 栗田藤平『雷鳴福岡藩』 弦書房、2004年、176ページ Related Articles