伊藤祐洋
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16代目伊藤次郎左衞門祐茲の長男として[1]、愛知県名古屋市に生まれる[2]。母・静子は侯爵佐竹義生令嬢。
1955年、慶應義塾大学法学部政治学科卒業後、阪急百貨店入社[2]。
1958年2月、松坂屋に転じ、1961年10月に取締役に選任され、常務、専務を経て、1968年9月に副社長となる。この間、1967年1月から名古屋青年会議所の理事長を1期(1年間)務めた。
1980年5月、16代目は任期半ばの弟・伊藤鈴三郎に辞任を迫り[1]、長男・洋太郎を社長の座に据える[2][3]。この社長交代劇は、伊藤家の「宮廷革命]と呼ばれた[4]。
1984年12月、16代目が死去し、会長が空席になると、翌年1月に副社長だった鈴木正雄が会長に就任した[5]。社長の洋太郎にこの昇格人事案は直前まで知らされておらず、洋太郎は異を唱えたが、役員会の賛成多数で押し切られ[5]、4月22日開催の臨時取締役会で、社長を解任して会長にし、鈴木が社長に就任する議案が決議された[5]。これに対し洋太郎は社長室に籠城し、決議無効を主張したという[5]。さらに洋太郎の会長就任と同時に、弟の伊藤千次郎・武三郎も松坂屋の取締役を退任させられた[6]。 洋太郎は失地回復のために、17代目伊藤次郎左衞門祐洋を襲名したが、「時すでに遅し」だった[6]。1991年5月、鈴木が社長を譲り会長になると17代目は、名誉会長という名ばかりの役職に祭り上げられた[6][2]。