伊藤順吉
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伊藤竹之助、ときの次男として生まれる。父・竹之助は伊藤忠兵衛 (初代) の長女・ときの婿養子。兄は伊藤英吉。妻は後藤文夫の次女保子。
甲南小学校(9回生)、旧制甲南高等学校を経て、1936年に大阪帝国大学理学部物理学科(一期生)を卒業後、同学科の菊池正士の下につく。高エネルギー電子線を活用する原子核研究を行うため、日本で最初のサイクロトロン建設に携わり、戦時中には同学科教授、1943年春から海軍嘱託として、海軍極超短波レーダーの基礎的部分の研究を山口省太郎(同学科助教授)と共に担当し、菊池グループで重要な役割を果たす[4]。兵器開発に関わったという意識はなかった[5]。1945年12月に米軍によってサイクロトロンが破壊、撤去され、同時に日本における原子核研究実験の禁止命令がGHQから出される。第二次大戦後、原子核物理研究から核物理を物性研究に応用する研究に重点を移す。永宮健夫とともに理学部物理学科から基礎工学部材料工学科に移籍した当時の伊藤研究室の研究の柱は核磁気共鳴吸収とレーザー光による物性研究[6]。
著書
- 大阪大学歴代総長餘芳(2004/3 大阪大学出版会)共著
