11代宿毛領主山内主馬氏理の嫡子に生まれた[2]。山内容堂の甥にあたる。1868年(明治元年)、竹内綱の補佐役に、林有造や石原少馬を近習に従え京都に遊学したが、岩村通俊に説かれ、戊辰戦争に参加、一箇中隊を率いて北陸に出兵した。
明治維新後、福澤諭吉を慕って慶應義塾へ入塾し(『慶應義塾入社帳第一巻』316頁)、推薦を受け1877年(明治10年)に英国留学する。帰国後、農商務省を経て高等商業学校教諭になったが、病気のため退職した。
宿毛に帰郷し、1897年(明治30年)5月3日没、47歳。養子となった氏広が、その功により1900年(明治33年)に華族に列し男爵を叙爵した[1][3]。