伍賀厚 From Wikipedia, the free encyclopedia 生年月日 1902年6月8日出生地 日本 岡山県上道郡可知村(現・岡山県岡山市東区)没年月日 (1983-11-16) 1983年11月16日(81歳没)出身校 上道郡可知実業補習学校卒業 日本の政治家伍賀厚ごが ひろし生年月日 1902年6月8日出生地 日本 岡山県上道郡可知村(現・岡山県岡山市東区)没年月日 (1983-11-16) 1983年11月16日(81歳没)出身校 上道郡可知実業補習学校卒業前職 岡山市助役現職 岡山市市政相談員 西大寺市長当選回数 3回在任期間 1957年2月20日 - 1969年2月17日テンプレートを表示 伍賀 厚(ごが ひろし、1902年〈明治35年〉6月8日[1] - 1983年〈昭和58年〉11月16日[2])は、日本の政治家。岡山県西大寺市(現・岡山市)長。 岡山県上道郡可知村出身[1]。上道郡可知実業補習学校卒[1]。1922年(大正11年)、岡山県書記となり、のち、民生部勤労課長となる[1]。1946年(昭和21年)、岡山県庁を退職し、岡山市役所に転じ、理事兼復興第一部長となる[1]。1947年(昭和22年)、岡山市助役となる。1957年(昭和32年)、西大寺市長選挙に立候補して、市議会副議長、元雄神村長の新人2人を破って初当選を果たした[3]。同年2月20日に就任した[4]。1961年(昭和36年)、無投票で再選を果たした[5]。1965年(昭和40年)、無投票で3選を果たした[6]。1968年(昭和43年)、岡山市から合併の申し入れを受けた[7]。その後、1969年(昭和44年)2月18日に岡山市と合併した[8][注釈 1]。退任後は岡山市の市政相談員となった[1]。1983年(昭和58年)11月16日、腎不全のため死去した[2]。 脚注 [脚注の使い方] 注釈 ↑ 市長は2月17日付で退任[4] 出典 1 2 3 4 5 6 『岡山歴史人物事典』、421頁。 1 2 『岡山県関係新聞記事索引 昭和58年 227コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション ↑ 『山陽年鑑 昭和33年版 67コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション 1 2 『西大寺市史 56コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション ↑ 『山陽年鑑 昭和37年版 39コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション ↑ 『山陽年鑑 昭和41年版 49コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション ↑ 『岡山市と周辺市町村合併の記録 29コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション ↑ 『岡山市と周辺市町村合併の記録 36コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション 参考文献 『岡山県歴史人物事典』山陽新聞社、1994年。 表話編歴 岡山県西大寺市長 家野猛之1953.2.20-1957.2.19 伍賀厚1957.2.20-1967.2.17(廃止) カテゴリ表話編歴 岡山市長1969年2月18日編入 西大寺市長 家野猛之1953.2.20-1957.2.19 伍賀厚1957.2.20-1967.2.17 官選 花房端連1889.9-1890.10 新庄厚信1890.10-1894.5 小田安正1894.7-1902.7 岡田磐1902.7-1918.8 中山寛1918.10-1922.10 窪谷逸次郎1923.5-1928.8 守屋松之助1929.2-1933.8 石原市三郎1934.2-1938.2 時実秋穂1938.3-1940.1 国富友次郎1940.9-1944.9 竹内寛1944.9-1945.10 橋本富三郎1945.11-1947.2 公選 田中弘道1947.4-1951.3 横山昊太1951.4-1955.4 田淵久1955.5-1959.4 寺田熊雄1959.5-1963.4 岡崎平夫1963.5-1983.4 松本一1983.5-1991.1 安宅敬祐1991.2-1999.2 萩原誠司1999.2-2005.8.25 高谷茂男2005.10.9-2013.10.8 大森雅夫2013.10.9- カテゴリ Related Articles