佐々木宗清 From Wikipedia, the free encyclopedia 佐々木 宗清(ささき むねきよ、生没年不詳)は、鎌倉時代中期から後期にかけての武士。隠岐宗清とも。通称は左衛門尉[1]、隠岐守[1]、豊前守[1]。従五位上[1]。 佐々木時清の子[1]。母は大曾禰長経の娘[1]。妻は京極宗綱の娘。子に清高[1]、清嗣[1]、秀清[1]、清貞[1]、清顕[1]。 北条時宗が得宗家当主であった頃(弘長3年(1263年)- 弘安7年(1284年))に元服をし、その偏諱(「宗」の字)を授かったとみられる[2]。生没年については未詳である。 『皇年代記』正安3年(1301年)正月18日条では「佐々木隠岐前司宗清」とするが、他の史料からその父・時清の誤記とされる[3]。 『尊卑分脈』の系図において、京極宗綱の娘を宗清の母としているが、年代的にこれは誤りで、実際には宗清の妻で清高の母と考えられている[3]。 脚注 [脚注の使い方] 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 『尊卑分脈』〈新訂増補 国史大系〉。 ↑ 紺戸淳「武家社会における加冠と一字付与の政治性について」『中央史学』2号、1979年、p.15系図。 1 2 細川 2000, 巻末基礎表p.73 参考文献 細川重男『鎌倉政権得宗専制論』吉川弘文館、2000年。 佐々木哲『佐々木六角氏の系譜 系譜学の試み』思文閣出版、2006年。 この項目は、日本の歴史に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:日本/P:歴史/P:歴史学/PJ日本史)。表示編集 Related Articles