佐々木忠次郎

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死没 (1938-05-26) 1938年5月26日(80歳没)
国籍 日本の旗 日本
研究分野 昆虫学
佐々木 忠次郎
生誕 1857年9月27日安政4年8月10日
日本の旗 日本越前国(現・福井県
死没 (1938-05-26) 1938年5月26日(80歳没)
国籍 日本の旗 日本
研究分野 昆虫学
研究機関 駒場農学校東京帝国大学
出身校 東京大学
主な業績 大森貝塚の発掘
主な受賞歴 旭日重光章
プロジェクト:人物伝
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佐々木 忠次郎(ささき ちゅうじろう、1857年9月27日安政4年8月10日)- 1938年昭和13年)5月26日)は、明治大正昭和期の昆虫学者。近代養蚕学製糸学の開拓者。

福井藩士の子として福井で生まれ、1871年に父の工部省勧工寮出仕にともない、14歳で上京し、東京大学理学部に入学[1]。 東大在学中、エドワード・S・モースチャールズ・オーティス・ホイットマンの指導を受けた。

害虫研究や蚕研究を行い、多くの著書と論文を発表した。 1938年(昭和13年)死去。同年5月28日の葬送には勅使が邸宅を訪問、幣帛の下賜を受けた[6]。 没後その功績を称え旭日重光章が贈られた。また国蝶のオオムラサキの属名「ササキヤ(Sasakia)」は彼に対する献名である。

家族

佐々木長淳(権六、1830-1916)も養蚕学の研究者である[7]。長淳は福井藩士・佐々木小左衛門長恭の長男に生まれ、幕末の福井藩で主に技術官僚として軍事・軍制改革に携わり、武器購入のために米国へも渡航し、維新後は新政府の農政実務官僚として養蚕・製糸・紡績等の分野で大きな功績を残した[1]

栄典

位階
勲章等

脚注

参考文献

外部リンク

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