佐々木忠次郎
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福井藩士の子として福井で生まれ、1871年に父の工部省勧工寮出仕にともない、14歳で上京し、東京大学理学部に入学[1]。 東大在学中、エドワード・S・モースやチャールズ・オーティス・ホイットマンの指導を受けた。
- 1877年9月16日、松村任三、松浦佐用彦とともにモースに同行し、大森貝塚の発掘調査を行った[2]。
- 1879年には日本人だけによる最初の発掘調査として、後輩の飯島魁とともに陸平貝塚の調査を行っている。
- 1881年、東京大学理科大学生物学科第1回生として卒業。1889年から2年間ドイツへ留学し、ミュンヘン大学で学ぶ[3][1]。留学中も常に羽織に仙台平の袴という服装で外出し、ミュンヘンの名物になったという[4]。帰国後帝国大学農科大学助教授となり、1893年に動物学・昆虫学・養蚕学の第二講座の初代教授となった[1]。
- 1921年退官、名誉教授となる。
- 1922年4月7日、帝国学士院会員となる[5]。
害虫研究や蚕研究を行い、多くの著書と論文を発表した。 1938年(昭和13年)死去。同年5月28日の葬送には勅使が邸宅を訪問、幣帛の下賜を受けた[6]。 没後その功績を称え旭日重光章が贈られた。また国蝶のオオムラサキの属名「ササキヤ(Sasakia)」は彼に対する献名である。