佐伯惟治

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生誕 明応4年(1495年
別名 仮名:二郎
 
佐伯惟治
時代 戦国時代
生誕 明応4年(1495年
死没 大永7年11月25日1527年12月17日
別名 仮名:二郎
神号 富尾大権現
戒名 大機正徹大禅定門
墓所 尾高智神社(宮崎県延岡市
官位 薩摩守
主君 大友義鑑
氏族 豊後佐伯氏
父母 父:佐伯惟世
兄弟 諸説有り
千代鶴丸
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佐伯 惟治(さえき これはる[1])は、豊後佐伯氏第10代当主。豊後国海部郡栂牟礼城主。大永年間に、戦国期の佐伯氏の居城である栂牟礼城を築いた。

大永7年(1527年)、肥後菊池義武に通じて大友義鑑に対し謀叛を企てていると讒言する者があり、義鑑は臼杵長景に惟治の討伐を命じた。11月13日に栂牟礼城攻めが始まったが、栂牟礼城は堅固で落ちる気配が無かったため、長景は義鑑への口添えを約束して開城を促し、惟治はこれに応じて日向へと退去した。しかしこれは長景の罠であり、城を出た惟治は長景の要請を受けた土豪・新名氏の襲撃に遭って進退窮まり、11月25日に三川内の尾高智山で自害した。享年33。

惟治死後、豊後佐伯氏を継いだのは惟常(甥(兄・惟安の子)とされる)だが、惟教までの続柄には諸説有って系図が確定していない(10代惟治-11代惟常-12代惟教)。

没後

人物・逸話

脚注

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