佐川明

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佐川 明(さがわ あきら、旧姓森本〈もりもと〉、1914年大正3年〉11月5日 - 2005年平成17年〉1月4日)は、日本実業家栗田工業社長。

兵庫県出身。森本茂の次男として生まれる[1]。7歳のときに父親が死去、幼い頃から本の行商をさせられるなど、祖母に厳しく育てられる[2]

1940年昭和15年)東京商科大学(現・一橋大学)を卒業。学生時代はラグビー部員[2]。卒業後神戸に戻り、伊藤忠商事大阪本社に入社。その後徴兵されて満洲に渡り、一時帰国の際に神戸の貿易商(佐川商店社長)の佐川与一の長女・登美子と結婚して佐川家に婿入りする[3][4]

敗戦後、シベリアに抑留される。そのさなか、長女が産まれて十日で死ぬ。1947年帰国し、伊藤忠に復職[2]1956年(昭和31年)、東京日本橋のボイラーメーカー横山工業に出向となり、一家で鎌倉に転居。参与資財部長を経て同年12月取締役に選任され、1959年(昭和34年)11月に復帰。1964年(昭和39年)参与機械第一本部長となり1965年(昭和40年)4月栗田工業に出向。その後同社社長として同社の建て直しに尽くすが、長男・佐川一政がパリで女性殺害事件(パリ人肉事件)を起こし、何度もパリへ出向いて弁護士を雇い息子のために奔走、脳梗塞で倒れる[5]。その後も一政を支え続けるが、2002年、三度目の脳梗塞に襲われ、死去の翌日、妻も死去した(『週刊新潮』2005年1月27日)。月刊誌『創』2002年8月号に一政の「パリ人肉事件から20余年 父が逝った。その時私は……」が載ったが、これは小説として書いたもの。

人物

家族

脚注

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