佐橋佳豊の子として生まれ、伯父の佳如(よしゆき)の養子となる。文化14年(1817年)1月11日、西丸書院番より使番に移り、文政11年(1828年)11月17日に西丸目付、文政12年(1829年)4月28日に本丸目付となる。天保6年(1835年)6月8日より京都西町奉行に就任し、大塩平八郎の乱の残党取り締まり、地元京都以外の産地の織物類の直買を禁止した。天保11年(1840年)4月8日、勘定奉行となり、天保12年(1841年)5月3日からは道中奉行を兼任した。天保13年(1842年)2月7日に作事奉行、天保14年(1843年)5月10日に西丸留守居となるが、同年12月28日に役を免じられた。