佐竹宗実 From Wikipedia, the free encyclopedia 時代 戦国時代 - 安土桃山時代生誕 生年不詳死没 天正18年9月23日(1590年10月21日)改名 佐竹宗実→明智秀慶 凡例佐竹 宗実 / 明智 秀慶時代 戦国時代 - 安土桃山時代生誕 生年不詳死没 天正18年9月23日(1590年10月21日)改名 佐竹宗実→明智秀慶官位 出羽守主君 明智光秀→丹羽長秀氏族 佐竹氏→明智氏父母 父:佐竹蓮養坊兄弟 宗実、信世テンプレートを表示 佐竹 宗実(さたけ むねざね)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。明智光秀の家臣。のちに明智姓を与えられて明智秀慶と称した[1]。 佐竹氏は山城国愛宕郡高野の地侍で、妻が吉田兼見の妻と同胞であったことから兼見とは親交があった[2]。のちに織田信長が上洛を果たすと宗実は明智光秀の麾下に属すが、一時期「二十日銭」の利権を巡って光秀と係争を起こし、柴田勝家や細川藤孝に援助を依頼している[2]。 天正6年(1578年)11月、光秀の命を受けて摂津に出陣し、翌天正7年(1579年)には八上城攻めに参加して負傷している[2]。 天正10年(1582年)の本能寺の変や山崎の戦いにおける活躍は不明だが、『兼見卿記』によれば蜂須賀正勝の取りなしによって助命されたという[2]。その後、丹羽長秀に仕えて300石を与えられるが、のちに真如堂に隠居して天正18年(1590年)9月23日に死去した[2]。 脚注 ↑ 福島克彦『明智光秀 織田政権の司令塔』中公新書、2020年12月25日、40頁。ISBN 9784121026224。 1 2 3 4 5 藤木久志 編『織田政権の研究』吉川弘文館〈戦国大名論集 17〉、1985年11月10日、382-383頁。 この項目は、日本の歴史に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:日本/P:歴史/P:歴史学/PJ日本史)。表示編集 Related Articles