佐竹金次
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1903年(明治36年)、愛知県豊川市森町にて、父幹方、母ときの4男(8人兄弟)として生まれる。幼少期から学業に優れ、名古屋陸軍幼年学校、陸軍中央幼年学校本科を経て、1924年(大正13年)7月18日に陸軍士官学校(36期)を卒業し、同年10月25日に工兵少尉に任官、工兵第1大隊付となる[1]。1927年(昭和2年)12月22日に陸軍砲工学校(33期)高等科を首席卒業後、更に員外学生として在学。1931年(昭和6年)3月10日に京都帝国大学電気工学科を卒業[2]。1933年(昭和8年)8月1日には工兵大尉に進級した[3]。
その後、任地入隊を経験し、陸軍砲工学校教官、陸軍科学研究所、ドイツ任官を経て、1938年(昭和13年)3月1日には工兵少佐に進級し[4]、陸軍のレーダー開発に携わった[5]。1941年(昭和16年)3月1日工兵中佐に、1944年(昭和19年)8月1日陸軍大佐に進級。
1943年ドイツからの帰国時はフランスのボルドー市潜水艦基地からルイージ・トレッリ号(潜水艦)にて出港し同年9月にシンガポール港に入港した[6]。
戦後は沖電気株式会社にて、電子計算機による外国語翻訳プログラム作成の研究に携わった。(論文:「言語における国際性」(国際電信電話株式会社 研究所[7])