佐藤和孝

From Wikipedia, the free encyclopedia

生誕 (1956-02-25) 1956年2月25日(70歳)
日本の旗 日本北海道帯広市
職業 ジャーナリスト
ジャパンプレス代表
活動期間 1980年[1] -
佐藤 和孝
(さとう かずたか)
生誕 (1956-02-25) 1956年2月25日(70歳)
日本の旗 日本北海道帯広市
職業 ジャーナリスト
ジャパンプレス代表
活動期間 1980年[1] -
テンプレートを表示

佐藤 和孝(さとう かずたか、1956年(昭和31年)2月25日[2] - )は、日本ジャーナリスト北海道帯広市出身[1][3]ジャパンプレスの代表[4]

出身地の高校卒業後に東京写真専門学校に入学し、中退。1980年(昭和55年)に戦場カメラマンとしてアフガニスタン紛争の取材を行う。その後、ビデオジャーナリストに転進する[3]。1980年代より、アフガニスタン紛争やボスニア・ヘルツェゴビナ紛争などを取材してきた[4]1996年(平成8年)以降は山本美香と共同で取材[4]

2001年(平成13年)のアメリカ同時多発テロ発生後も現地に留まり、日本テレビの中継などを通じて報道を続けた[1]2003年には、イラク戦争開始直前にバグダードに入り、ニュースプラス1きょうの出来事などで現地のリポートを送り続けた[1]

2003年度ボーン・上田記念国際記者賞特別賞を受賞[5][6]

2012年(平成24年)、山本美香が銃撃され死亡したシリア内戦の取材にも同行。その中で、山本と事実婚の関係であったことを明らかにした[7]

2022年ロシアのウクライナ侵攻が起き同年3月にウクライナ入りし[8][9]、いくつもの媒体に向けて記事を書いており、news zeroでも現地からLiveレポートを行っている。

2025年、13年ぶりに山本美香が銃撃され亡くなったシリアのアレッポに行き、事件現場の地区長から事件の首謀者が政府派民兵組織のリーダー、マヘル・キラタだったとの証言を得る。動機について、佐藤は、政府の公式説明と異なる現地実情を山本らジャーナリストが伝えるのを嫌って、キラタらが襲撃に及んだのではないかとみている[10]

著書

脚註

外部リンク

Related Articles

Wikiwand AI