関東大震災の際、神奈川高等女学校(現・神奈川学園)は倒壊を免れて避難所となり、佐藤は避難してきた住民を受け入れた[4][5]。9月2日に「鮮人来襲」の流言が伝わったが、佐藤は「それは誤伝であろう」と否定し、食を分かち与えるべきだと述べた(「大震災と本校」『学校時報』第7巻第4号、1923年12月)[4][5]。その後、県知事を訪れて鮮人収容の必要性を力説し、軍隊が学校に到着することで自警団の混乱から解放された[4]。なお、同時期に神奈川県内では鶴見警察署長の大川常吉も多数の朝鮮人・中国人を保護したことが知られている[4]。