松江城下白潟本町(現島根県松江市白潟本町)出身。佐藤喜八郎の長男として生まれ、先代愛山の養子となり1914年(大正3年)3月、家督を相続する。和漢学を修めたほか日蓮宗に帰依して仏学を研究した。
1873年(明治6年)以降、島根県第六区戸長、松江市会議員、同市所得税調査委員、同市名誉参事会員、臨時世界博覧会委員、松江市会議長を歴任した。ほか、出雲農会幹事長、同仏教会名誉顧問、教育会育英会各評議員を務めた。
1897年(明治30年)9月には島根県多額納税者として貴族院議員に互選され、同年9月29日[3]から1900年(明治33年)7月14日まで務めた[4]。