佐貫 (睦沢町)
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歴史
江戸期は佐貫村であり、上総国夷隅郡のうち。「上総国村高帳」「旧高旧領」では旗本吉川領、ほかに与力給知がある。村高は、文禄3年「石高覚帳」1,410石、「元禄郷帳」1,412石、「天保郷帳」「旧高旧領」ともに1,410石余。「上総国村高帳」では家数206。与力給知は麻布方・山手方の2つに分かれており、延宝8年の検地では麻布方58町余・山手方60町余であった。この検地の際石盛に関して村方から訴えが出され、村民5名が村追放となった(睦沢村史)。神社は天文年間大多喜城主武田信清の勧請といわれる八幡神社、ほかに大宮神社・八坂神社・御霊神社がある。御霊神社には花火筒や煙火が奉納され、花火師の信仰を得ていた。寺院は曹洞宗竜雲寺・大聖院、天台宗福円寺。明治6年千葉県に所属。同7年堂坂小学校が設立され、同22年まで大上小学校との間に合併、分離が繰り返された。同18年反別3513町4反余(上総国町村誌)。明治22年瑞沢村の大字となる[4]。
年表
世帯数と人口
施設
- 佐貫区民センター
- 森之谷集会所
- 上姥神集会所
- 下姥神集会所
- 馬場集会所
- 赤根久公民館
- 一之堰集会所
- 中里集会所
- 上沢集会所
- 祖母神社
- 八幡神社
- 浅間神社
- 福円寺
- 龍雲寺
- 大聖寺