佐野忠義 From Wikipedia, the free encyclopedia 生誕 (1889-03-07) 1889年3月7日 大日本帝国・静岡県死没 (1945-07-03) 1945年7月3日(56歳没) 大日本帝国・宮城県仙台市所属組織 大日本帝国陸軍軍歴 1911年 - 1945年佐野 忠義さの ただよし 生誕 (1889-03-07) 1889年3月7日 大日本帝国・静岡県死没 (1945-07-03) 1945年7月3日(56歳没) 大日本帝国・宮城県仙台市所属組織 大日本帝国陸軍軍歴 1911年 - 1945年最終階級 陸軍中将テンプレートを表示 佐野 忠義(さの ただよし、1889年(明治22年)3月7日[1][2] - 1945年(昭和20年)7月3日[1][2])は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 静岡県出身[1][2][3]。佐野熊平の二男として生まれる[1]。1911年(明治44年)5月、陸軍士官学校(23期)を卒業し、同年12月、陸軍砲兵少尉任官し野砲兵第16連隊付となる[1][4]。1914年(大正3年)11月、 陸軍砲工学校高等科を卒業し[1]、1922年11月、陸軍大学校(34期)を卒業[1][3]。 陸士教官、イギリス出張、陸大教官、野砲兵第4連隊付、第5師団参謀、野砲兵第24連隊長、第12師団司令部付、野砲兵第20連隊長などを経て、日中戦争に第14師団参謀長として出動[1][2][3]。1938年(昭和13年)7月、陸軍少将に進級[1][3]。野戦重砲兵第4旅団長、陸軍野戦砲兵学校長を経て、1941年(昭和16年)3月、陸軍中将となった[1][2][3]。 太平洋戦争には、第38師団長として出征し[1]、ジャワ島攻略に従事[2]。その後は同師団長としてガダルカナル島の戦いに従事した。その後防衛総参謀長、参謀本部付を経て、第34軍司令官として漢口に赴任[1][2][3]。のち支那派遣軍総司令部付となった[1][2][3]。1945年7月、仙台で戦病死した[1]。 脚注 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 『日本陸海軍総合事典』第2版、71頁。 1 2 3 4 5 6 7 8 『日本陸軍将官辞典』356頁。 1 2 3 4 5 6 7 『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』292-293頁。 ↑ 『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』289、292-293頁。 参考文献 秦郁彦編『日本陸海軍総合事典』第2版、東京大学出版会、2005年。 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。 Related Articles