何進滔 From Wikipedia, the free encyclopedia 何 進滔(か しんとう、生年不詳 - 840年)は、唐代の軍人。魏博節度使。本貫は霊州霊武県。 魏博の食客として寄寓し、軍門を委ねられ、魏博節度使の田弘正に仕えた。田弘正が朝廷の命で鄆州を討ち、李師道を破ると、進滔は牙内都知兵馬使となり、功により侍御史を兼ねた。大和3年(829年)、魏博の軍衆が節度使の史憲誠を殺害し、進滔を知留後に立てた。朝廷により進滔は左散騎常侍・魏博等州節度観察処置等使に任じられた。魏博を統帥すること十数年、民衆の支持を得た。官は検校司徒・同中書門下平章事を歴任した。開成5年(840年)、死去した。太傅の位を追贈された。諡は定といった[1][2]。 家族 曾祖父:何考物(霊州軍校) 祖父:何俊(霊州軍校) 父:何黙(夏州牙前兵馬使、検校太子賓客、太常寺卿)[1] 子:何弘敬[3][2] 脚注 1 2 旧唐書 1975, p. 4687. 1 2 新唐書 1975, p. 5937. ↑ 旧唐書 1975, p. 4688. 伝記資料 『旧唐書』巻181 列伝第131 『新唐書』巻210 列伝第135 参考文献 『旧唐書』中華書局、1975年。ISBN 7-101-00319-2。 『新唐書』中華書局、1975年。ISBN 7-101-00320-6。 Related Articles