依田広太郎

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依田広太郎

依田 広太郎(よだ ひろたろう、1853年10月24日嘉永6年9月22日[1] - 1916年〈大正5年〉5月20日[2])は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将[3]丹後国宮津(現・京都府宮津市)出身[3]

宮津藩軍監・依田伴蔵の長男。1877年(明治10年)陸軍士官学校(旧1期) を卒業し陸軍少尉任官。累進して陸軍歩兵中佐となり監軍部参謀事務取扱や第29連隊長を務め、1898年(明治31年)10月1日 陸軍歩兵大佐に昇進すると、陸軍戸山学校長、砲兵会議議員、歩兵第47連隊長を歴任した。1903年(明治36年)12月9日 陸軍少将に任官、同日付けで歩兵第4旅団長を拝命する。次いで歩兵第12旅団長、歩兵第1旅団長を経て、1910年(明治43年)11月30日 、陸軍中将となり第7代第11師団師団長に就任。その5年後の1915年(大正4年)依願で予備役編入となった。

経歴

栄典・授章・授賞

位階
勲章等
外国勲章佩用允許

家族

脚注

参考文献

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