依田道長
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甲斐国山梨郡下井尻村[1](山梨県[2]東山梨郡日下部村[6]、日下部町[3]を経て現山梨市[1]下井尻)で、豪農・依田帯刀の長男として生まれる[3][4][5]。元治元年(1864年)新徴組に加わるが[4][5]、その後帰郷し[5]、新徴組取締の山岡鉄太郎(山岡鉄舟)に入門し撃剣を学んだ[4][5]。上黒駒村(現笛吹市)の武藤藤太と国事に奔走し、勤王運動に加わった[1][4][5]。
明治維新後、明治5年(1872年)下井尻村戸長に、1876年(明治9年)学区取締総理に就任[1][2][4][5][6]。1880年(明治13年)峡中同進会員となり自由民権運動に参画[1][7]。1881年(明治14年)入会山林原野の官有地編入反対運動では中心的な役割を果たした[1][5][8]。
1882年(明治15年[注釈 1])山梨県会議員に選出され2期在任[1][2][4][5][6]。衆議院議員には第3回[9]、第4回総選挙で当選し[10]、連続2期在任した[1][2][6]。第5回総選挙では河口善之助に候補を譲り引退した[4]。