保科正率
日本の江戸時代後期の大名
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生涯
宝暦2年(1752年)2月11日、第6代藩主・保科正富の長男として江戸で生まれる。明和7年(1770年)7月5日、父が隠居したため、家督を継いだ。12月には従五位下、弾正忠に叙位・任官する。
安永2年(1773年)6月5日、黒田長邦の三女・お屋さと結婚する[1]。このとき、福岡藩藩主・黒田治之から、紅白の縐紗2巻、鰑1折、白銀30枚を贈られている[1]。
寛政3年(1791年)10月、大坂城定番に任じられ、享和元年(1801年)5月まで務めている。その他にも大坂加番を3度、日光祭礼奉行を2度ほど歴任している。享和2年(1802年)6月3日、家督を長男の正徳に譲って隠居し、以後は南御殿で余生を送った。