倉上慶大
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高校山岳部でクライミングに出会い、大学進学を機に移り住んだ新潟でボルダリングにのめり込む[1]。2012-13年頃は京都に住み京都大学のクライミングウォール(京大wall)でトレーニングし[1]、京都笠置のシンクラックプロジェクトを初登した[2]。2013-16年頃はハイボールをノーマットグラウンドアップで登ることに傾倒し[1]、2015年以降は、トラッドルートやマルチピッチルートの開拓など活動範囲を広げた[3][4]。
2021年11月マウンテンバイク乗車中に意識を消失し救急隊によるAEDで蘇生され、その後運動誘発型の冠攣縮性狭心症と診断された[5]。2024年6月富士山登山中に意識を消失し、その後救急搬送された病院で死亡が確認された[1]。同年9月、クライミング専門誌『ROCK & SNOW』で12ページもの追悼記事が組まれた[1]。