倉田令二朗

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くらた れいじろう
倉田令二朗
生誕 1931年3月25日
死没 2001年8月8日
出身校 東京大学
職業 数学者
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倉田 令二朗(くらた れいじろう、1931年3月25日 - 2001年8月8日)は、日本の数学者理学博士(専攻:数学基礎論)。九州大学工学部助教授、河合文化教育研究所主任研究員を務めた。[1][2]

香川県丸亀市に生まれる。[1][3] 1954年、東京大学理学部数学科/理工学部数学科とする資料がある)を卒業し、東京工業大学大学院に在籍した。[1][3][2]

その後、高等学校教員、日本科学技術研修所電子計算機センター、日本大学文理学部講師などを経て、九州大学助手を経て1964年に九州大学工学部助教授となった。[3][1][2] 一方、人物事典では、日本大学で助教授となったのち「日大数学科事件」により解雇されたことが記されている。[1] 1986年、河合文化教育研究所主任研究員に就任した。[3][2] 2001年8月8日、死去した。[1][4]

研究・教育活動

数学基礎論を専門とし、河合文化教育研究所では講座等を担当したとされる。[2]

著作として、日本評論社から『多変数複素関数論を学ぶ』(高瀬正仁による解説付き)などが刊行されている。[5]

また、CiNii Research 上では、『数学セミナー』掲載のガロアに関する記事などが確認できる。[6]

社会的活動

人物事典および河合文化教育研究所の紹介では、ベトナム反戦運動ベ平連)や大学闘争支援、数学教育運動などへの関与が記されている。[1][2] また、ベ平連の資料では「福岡ベ平連」の活動家として言及されている。[4]

著作

脚注

外部リンク

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