倭漢書県 From Wikipedia, the free encyclopedia 時代 飛鳥時代生誕 不明死没 不明別名 氏:倭漢、書 凡例倭漢書県時代 飛鳥時代生誕 不明死没 不明別名 氏:倭漢、書主君 舒明天皇→皇極天皇氏族 倭漢書直テンプレートを表示 倭漢書 県(やまとのあやのふみ の あがた)は、飛鳥時代の人物。氏は倭漢あるいは書とも記される。姓は直。 舒明天皇11年(639年)百済川の辺(現在の奈良県北葛城郡広陵町百済)に百済宮と百済大寺を建てた際、大匠(建築技師の責任者)を務める[1]。皇極天皇元年(642年)舒明天皇の崩御に際して、百済国から来日した弔問使のもとへ阿曇山背比羅夫・草壁磐金と共に百済国の様子を訪ねるために遣わされ、義慈王即位後の百済の政変に関する情報を入手した[2]。 白雉元年(650年)遣唐使で利用するための百済船の造船を行うため、白髪部鐙・難波胡床と共に安芸国へ派遣されている[3]。 脚注 ↑ 『日本書紀』舒明天皇11年7月条 ↑ 『日本書紀』皇極天皇元年2月2日条 ↑ 『日本書紀』白雉元年条 参考文献 宇治谷孟『日本書紀 (下)』講談社学術文庫、1988年 宝賀寿男『古代氏族系譜集成』古代氏族研究会、1986年 Related Articles