嗣君の子として生まれる。
懐君31年(前253年)、懐君が魏に殺されると、元君は魏によって立てられ、衛の君となった。
ある時、衛人の荊軻が諸国の旅から衛に帰国した後、官僚を志して衛の君主である元君に謁見し、旅で学んだ遊説術に基づいた国家議論を大いに述べたが、元君は全く聞き容れなかった。こうして荊軻は挫折し、それ以来遊侠に身を投じた。
元君12年(前241年)、秦に濮陽を奪われ、濮陽は東郡に編入された。このとき衛は野王に遷された。
元君23年(前230年)、元君が薨去し、子の角が立って衛の君(衛君角)となった。