元山ゼネスト
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展開
しかし会社側は12月になってこの約束を裏切り[2]、また一切の労働組合を認めなかったため、1929年1月13日、元山労働組合連合会(元山労連)は、最低賃金、8時間労働、監督罷免、団体契約権の確立などを要求しストライキに入った[3][2]。以前よりライジング・サン石油会社との交渉にあたっていた元山労連は、1月14日にストおよび傘下組合による支援を指示した[1]。はじめに元山に近い文坪油槽所の労働者300人がストライキに入り[4]、資本側はストに与する労働者の解雇と中国人労働者の導入によるスト破りで応じた[5]。資本家側の調停依頼を受けた元山商工会議所は元山労連に対して対決姿勢を示し[1]、1月21日から元山労連所属の労働者を雇用しないことで元山労働組合連合会を破壊しようとすると、元山労働連合会は1月22日にゼネストを宣言した。当日は元山斗量労働組合、海陸労働組合が、1月23日には結卜労働組合と運搬労働組合がストライキに突入。1月24日には元山仲仕組合と元山製麺労働組合、1月27日には洋服職工組合、1月28日には牛車夫組合と印刷職工組合がストライキ、2月1日には洋靴職工組合がストライキに入った。これにより元山労働組合連合会傘下24労組の労働者2200人がストライキに入った。これにより、元山の交通・港湾は完全に停止した[3]。前述の商工会議所による切り崩し工作に、元山労連は内外に対して支援を呼びかけ抗戦した[3]。これに呼応して京城、平壌、釜山、新浦、神戸などで連帯ストが行われた[4]。