光喜三子
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1912年(明治45年/大正元年)、千葉県木更津市に生まれる[1][2][3]。青山女学校(現在の青山学院女子短期大学)で2年間英語を学んだのち、二代目市川猿之助に弟子入りする[1][2][3]。
1930年(昭和5年)、松竹蒲田撮影所に入社[1][2][3]。光り輝く美貌から光喜三子という芸名が付けられ、同年9月、島津保次郎監督映画『ザッツ・オーケー いゝのね誓ってね』のヒロインに抜擢されて映画デビューを果たし、その美貌を強烈に印象付けた[1][2][3]。1931年(昭和6年)1月には早くも準幹部となる[1][3]。以後、五所平之助監督映画『女給哀史』や野村芳亭監督映画『燃ゆる花びら』などに準主役として出演していたが、後に共演した高田稔と恋愛し、撮影所を休みがちとなる[1][2][3]。
同年8月、五所監督による日本初のトーキー映画『マダムと女房』で渡部篤演じる劇作家の妻という大役を得て出演していたが、撮影半ばで姿を見せなかったため、五所は急遽、田中絹代に依頼して代役を立ってもらい、撮り直しの末完成させた[1][3]。その後も光は蒲田撮影所に在籍していたが、1932年に退社[1][3]。不二映画社を経て新興キネマに入社するが、1933年に高田と結婚し、芸能界を引退した[1][2][3]。ただし、日本映画データベースからは、不二映画社、新興キネマ両社の出演作品を確認する事が出来ない。