入交家住宅
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住宅の概要
家主・入交氏
家主の入交氏は長宗我部氏に仕えた家系であり[3]、津藩に仕えた一系が入交家住宅を建築した。土佐藩に残った一系は郷士となり、寛延元年に長岡郡片山荘入交から高知城下に転じ、桜屋と号する商人となる。長岡郡下田村の石灰山を購入後、石灰の製造に着手し、幕末には藩の石灰御用を引き受ける豪商に上り詰める。明治維新後も、実業家の入交太蔵および弟の太兵衛、太三郎を輩出し、入交産業を軸とした地方財閥を築き上げた[4]。
入交 蔵人(いりまじり くらうど、? - 天正14年(1586年))は、戦国時代に活躍した武将。長宗我部元親・信親父子の家臣。
元は熊野山の山伏の一族であったが、土佐国香美郡田村に屋敷と所領を与えられ長宗我部氏に仕えた[3]。天正14年(1586年)、九州征伐の一環である戸次川の戦いに参加し、16人の主従と討ち死にした[3]。