入船米蔵
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- 1901年の寄席の楽屋評として
「十歳の少年で故人柳桜の弟子になり(略)器用で記憶のよいことに至りては師匠も驚いた(略)真打になれずに居るのはどういう事情のあるものか」「こんな好男子がガンモドキなどという綽名をつけています」「能弁で芸もある割合に噺は陰気で愛嬌がありませんね。当人もモウ少しこの辺に注意して高座を賑やかにやったら来春は真打になれるでしょう」
と書かれている。若いときは柳家小三治(のちの3代目柳家小さん)と同格の扱いを受けたが、底意地が悪い面もあり評判が悪く大成しなかった。
- 錦枝時代に森暁紅(演芸記者)が
「よだれの出そうな口元は気になれど、話口どこにか旨い処が有る、踊りは上手なれど気障りで締りが無し、芝居などさせると中々味をやる」
との評を書き記している。
- 4代目春風亭梅枝(のちの3代目滝川鯉かん)と組んで掛合い噺などもやっていた。昭和の極初期頃まで掛合い噺で活動していたがその後不明。